寺報と今月の言葉


今月の言葉

「仏教は仏様に遇うてから学ぶのです」 

  (曽我量深 師)

 


寺報 平成29年11月発行

【報恩講(ほうおんこう)】 
 報恩講はその恩徳の大切さを明らかに教えてくださった親鸞聖人の恩徳に報いる仏事のことです。だから決して親鸞聖人だけをただ有り難いと讃嘆するだけでなく、私たち末世の門徒が親鸞聖人のおかげでという世界をいただいてこそ、報恩講という仏事が成り立つわけです。
 報恩ということは日本人が伝統してきた一番大切な言葉の一つです。「おかげさま」「もったいない」「有り難い」という言葉ですね。これらの言葉は人間の側から絶対出てこない言葉です。子供に「おかげさまと思いなさい」と言う親がいますけど、「思いなさい」と言われておかげさまが見つかるかというと絶対強制されて見つかるものではありません。おかげさまというのは「お陰さま」と書きます。陰というのはどこにできますか。真っ暗闇に陰はありますか。ありませんね。陰があるということは、必ず光があるということです。
 「闇が光になるこた出来ぬ。光のおかげで闇が知れるよ」という妙好人(みょうこうにん)の言葉がありますけど、おかげということは光に出遇(でお)うた時の自(おの)ずからなる表現です。光というのは照らしだすという用(はたら)きの象徴です。仏さまの言葉には必ず光という用きがあります。仏さまの言葉というのは具体的には親鸞聖人、蓮如上人のお言葉です。真実の言葉は必ずここ(この身)を照らしてくださる。これを仏さまの智慧(ちえ)と言います。仏智・光明(こうみよう)です。
 ご本尊、阿弥陀さまの後(うしろ)に光があるでしょう。後に光のない阿弥陀さまは一つもありません。この光のことを普通どう言いますか。仏教的には光背(こうはい)と言います。あるいは、一般的には後光(ごこう)とも言いますね。光を背にして闇に向かう。闇はこの煩悩の闇です。私たちは光に照らされないと汚れが見えないように、人間もまったく同じ道理でありまして、教えという光に照らされて初めてここに煩悩の身というものが照らし出されるわけです。だから、おかげということの中には光を仰ぐ世界があります。この点が大事なことだと思います。
 光に照らされて初めて「ああ、暗かったなぁ」と自分の闇に気がつくわけです。今、日本というのは光を忘れた世の中ではないかと思います。光を忘れているということは、「闇がここにあった」「問題はここにあった」「汚れは自分にあった」と、そういうことが本当に見えてこない。現在の日本の貧しさは案外こういうところにあるのではないかと思うわけです。            (宮城 顗 師)


カレンダーの言葉 11月


「宝性功徳草 柔輭左右旋」

限りなき宝賜わる お念仏

 

 お念仏は私たちを浄土の世界に招き入れてくださるのですが、ちょくせつ身に触れて頂く功徳として、浄土においては、「宝性功徳草」ということばで表される、仏陀の徳(宝)に触れることによって、わが身に触れ(自己の目覚め)、そして、同時に、相手も知ることになり、触れた者と触れられた者との平等が成立するわけです。
 そこから、われわれがわが身に触れることができるならば、その時に「道を増す」のだ、と。「道を増す」ということは、身に触れるということが出発点になり、そこから出発して行けるということです。
頭で考えたことが出発点になるのではありません。目は遠く未来を考えたり、過ぎ去った過去を思い出したりしてどこへでも行くわけです。しかし、この身は現在を表しますから、身に触れることによって、自ら立ち、そこから歩み出すことが起こります。
 親鸞には、「光触かぶる」(『聖典』四七九頁)ということばがあります。この「光」に身で遇い、身に触れるわけです。ここから初めて人間に求道ということが起こってきます。また、身に触れるということが起った時から仏教の勉強が始まるわけです。

 

 

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